杉野さんは、もともとSE(!)
脱サラをして炭焼き職人になりました。そして数年前よりきこりも始め、
今では複数の山主さんと山を将来どういう山にしていきたいかということを一緒に考え、計画的に伐採をし森の再生に取り組んでいらっしゃいます。
工場ではこちらも見させていただきました。
流石、炭焼き職人。
炭焼きの窯を自分で作ったそうです。この窯が作れる人はかなり稀少だとのこと。
中ものぞかせていただきました。
すごく綺麗なんです。
木炭をつくるのは、木材が燃え切らない状態にすることが大切で、そこのさじ加減は煙の色だとか。
難易度の高い知識と技術が必要で、お話を聞いていてとても興味深かったです。
私は火鉢で現在は炭団を使用しているので、次回は杉野さんの木炭で暖を取ろうかな。
話している場所は標高300mの屋外。流石に体が冷えてきます。
そこで杉野さんお手製の、杉の赤身茶(!)
当初、沸かしている状況を横目で見ながら、
木材をお湯で煮だしてなにかに使うのかな、と思っていましたが、
コップに注がれたコーヒーのように濃い色の液体を渡されたときは、!?!?となりました(笑)
聞けば、杉野さんが師匠から教えてもらった味だそうで、私たちもありがたくいただきました。
コップに顔を近づけるだけで、杉の香りが広がりとても心地良くなります。
苦味は底にいくほど強くなりますが、なんだか面白い飲み物を飲ませてもらった感覚でした。
どうやら杉の赤身を煮出すことで、フィトンチッドという成分が抽出され、精神安定など森林浴をしたような効果が期待できるそうです。
ちなみに、熱源はウッドストーブ。
火の流れがとても綺麗で見入ってします。
炭焼きの話は奥が深いことがよく分かり、もっと伺いたかったのですが、本題は森(笑)。
午後からは杉野さんが管理されている森に入らせていただき、人工林の状態と森の再生についていろいろお話を伺いました。
山主さんの意向により、
将来も林業を経営するために植林をするか、営利目的のない環境に良い山にするか、方向性が決まるそうです。
現在は林業を次の世代に残したいという山主さんは少ないようで、環境に良い山を念頭に伐採計画を進めている山が多いとのこと。
上の写真は、伐採した後自然に芽を出して育ってきた広葉樹たち。
数年前に伐採したばかりとのことでしたが、
計画的に伐採することで薄暗かった山に陽が入り、土に落ちていたどんぐりなどの広葉樹の種が芽を出します。
人間が植樹しなくても自然とその土地に合った植生になっていくので、林業としない山は伐採後は経過観察が続くそうです。
人間が植樹すれば、すぐに木立が見られ風景も見栄え良くなります。
対して、自然に任せた成長は遅く、雑然としていて、まさか管理しているとは思えないような状態が何年も続きます。
それでも杉野さんは50年後100年後を見据えて、これが一番早い森の再生なのだとおっしゃっていました。
林業をしない森をつくるなら、森から出来る限り早く計画的に、手を引く。とも言えるのかなと思いました。
自分はその自然の力で再生された森を見ることは出来ないが、それで良いんだ。と何度もおっしゃっていたことが印象的でした。
そして、森と流域。
杉野さんは常に流域を意識するとお話されていました。
川が運ぶものは里を潤す。
川の上流には森があり、木がある。
一つの川の流域は上から下まで繋がっていて、お互いに関係しながら暮らしを営む。
下流域は上流域の影響を受けるため、上流域は下流域への責任を負っている。と。
杉野さんの地域の流域は、矢作川流域とのこと。
茶臼山を源流に、三河地方を縦断する広域となります。
山は流域に影響を与えていることを、きこりは大昔から当たり前に考えて技術の継承をしてきたように思います。
街に住む我々のその意識が希薄となり、目の前にスッと出てくる材料を選択するような経済の在り方になってしまっていたのだな、と改めて感じました。
環境のことを考え、森と共に暮らす杉野さん。
街に暮らす私は、森と繋がることで、森と住まい手を繋げ、より良い材料を提案することが出来ます。
家の作り方は、今よりもっとスローペースで考えても良いもので、
むしろ永い時間使うものだから出来るだけ長い時間検討を重ねることが大切だと思うのです。
3年かけて計画し、一年かけて作っていく。
そんな4か年計画で作る家は、
短期間で作られる材料とは違う色艶香・そして粘りの大変良い材料と、検討を重ねた設計、そして知らないところで森と街の環境を守る。
そんな良いことづくめの家になります。
設計事務所に依頼する方の多くは、数年前より家づくりを検討している方々。
実は4か年計画は突拍子もない年月ではないのです。
自然乾燥させた材料と高温乾燥させた材料の違いや、製材による材料の経年変化の違いなど、
住まい手が手に取るように分かる見学会やワークショップを、いつか開催出来たらなあ、と妄想したりして。
森と住まい手を繋げることが、持続可能な国の経済の在り方にもなっていくのでは、と大きなところまで思考が広がるほどに、根本的な大切な考え方だと改めて考えさせられました。