木の家作りをしていると、関係者や知人は概ね自然や建築に関わる原体験を持っています。
野山に囲まれた場所で生まれ育ったり、海や川に近い場所で育ち、自然の中で遊びを覚える。
また、親が職人さんや設計者で建築や素材に小さいころから触れてきている、など。
ところが私ときたら。
何にもありません。
まず転勤族でしたので、定住した“地元”は有りません。
また、親は住居を各地域のニュータウンにしたので、
自然体験というと人工の中のわずかな人工の自然の中で
犬の散歩をしたり花の蜜を吸ったりした思い出ぐらいです。
父親はMRの仕事でしたので建築とは縁遠く、建築へ向けた話などは一ミリもありませんでした。
(後に父親は建築の仕事がしたかったことが判明します。)
自然や建築の原体験がある人が羨ましい、と常々思っていました。
建築とは関係のない仕事をしている友人も、
保育園での山崎川(名古屋の桜の時期の名所)の散歩が原体験で、海より川の方が落ち着く。
という感覚を持っていたりします。
私の幼稚園は、時間割が決まっていて外遊びよりいわゆる椅子に座って学ぶ教育に力を入れていた記憶があります。
自分の子供のころの強い記憶としては、
小学校低学年頃は、勉強が楽しかったり(あくまで低学年の時です)、
読書感想文コンクールで優秀賞をいただいた(小1の時、放課後みっちり先生に指導を受けて手直ししたもの)こと。
そのうちにレゴに夢中になったり、住宅の広告にインテリアを書き足したりし出すのですが、
いわゆる強い印象を残す身体感覚の原体験は全くないわけです・・・
それを友人に愚痴りましたら、友人は、
それがあなたの原体験じゃない?と言いました。
え??どれが? となりますよね。
考えることだよ、と。
考えることって原体験になるのか。
言い換えると、
新しい知識を入れることの喜びとそこから膨らませる楽しさを幼少期に感じていた。= 原体験
ということか。
確かに。
私は覚えていないのですが母から、私が幼稚園ぐらいの時に、
人間や宇宙について、母の友人に話したことがあるそうです(笑)
今でも考えることは好きで、大人になってから哲学や社会学、心理学などのジャンルは自分と親和性があると感じたりしています。
原体験と一口に言っても、
実際に身体が体験することと、脳が体験することの二通りあると理解しても良いってことかな。
そうか。
勤務時代の建築とは違う木や土壁の建築を作るようになったのも、頭で考えて方向転換したんだった。
この地域の環境にふさわしい建築、暮らしのために良い建築、将来世代に負担のない建築はなんだろう
と考え、たどり着いた建築なのです。
思考して答えを出す。
幼いころから変わらず今もやっているのですね~。

